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祇園祭の生み出す非日常の魅力

2丁目間中さん

2丁目世話方 間中さん

横山町神輿.JPG

思わぬ出会いから始まった祇園祭との関わり

私は幼少期のころ、祖父の家があった横山町へ祇園祭を見に行っていました。そのころは横山町の豪快な神輿のもみを近くで見るのが怖かったことを覚えています。祇園祭と本格的にかかわるようになったのは私が34歳の時でした。34歳で東久方町に引っ越してきたところ、地域の育成会で2丁目の若衆の方々と出会ったことがきっかけで、祇園祭にお手伝いとして関わるようになりました。約6年間お手伝いをした後、行司である玉川さんから、若衆に入らないかと声をかけられたんです。元々、お祭りや神輿に興味があったため、これまでとは違った形でお祭りに触れられると思い、若衆に入ることを決めました。

皆の心を一つにした一言

祇園祭の時にはお手伝いの人も入れて全員で神輿を担ぎます。お手伝いの中には初めて参加する人もいるわけで、その中でいかに息を合わせるかでお神輿の重さが全然変わってくるんです。皆の息が合えば神輿はとても軽く感じますが、息が合わないととにかく重いし、辛い。前回の天王番の行きの神輿担ぎが終わった後の休憩の時、行司の玉川さんが皆に向けて「いつも俺は奥さんに頭が上がらないから、みんな今日は俺を男にしてくれ」と声をかけたんです(笑)。その一言でその場の士気が一気に上がり、息が合い、その後の神輿はとても軽く感じました。神輿を楽しく担ぐか、辛く担ぐか、行司の掛け声でものすごく変わるんだな、と実感した瞬間で、とても鮮明に覚えていることの一つですね。

祇園祭の写真.JPG
間中様 修正済.JPG

日常からの離脱こそ祇園祭の魅力

世話方の皆さんは祭りの期間、普段働いている仕事そっちのけで祭りに没頭しています。その祭りへの向き合い方や覚悟はやっぱり違うなと、自分がその中の一員としているのかと思うと不安を感じさせるほどです。ただ私はそれこそが祇園祭の魅力ではないかとも思っています。いつもはサラリーマンとして普通の社会で働いている人々が、祭りの期間はその社会から離れて祭りの準備や運営、神輿担ぎなど、普通じゃできない体験をする。私は本町の人間ではないのですが、これが外部の人間から見た祇園祭の魅力だと感じています。

なくなってほしくない神輿渡御

私の住んでいる東久方町では人が少なくなったため、町会によってはもう神輿の渡御を行っていないところもあります。本町も例外ではなくて、人が集まらなくなって渡御ができなくなってしまう可能性が大いにあります。人が集まらなくなって渡御ができなくなってきた東久方町を見ると、なんだか桐生全体の今後も見えてくるようで悲しい気分になるんです。私はお神輿から関わらせてもらったところもあるので、何よりも渡御はなくなってほしくないですね。

2丁目 神輿渡御.JPG

【取材・文 中村 23/6 】

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