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桐生に生きる商人魂!
桐生祇園祭にかける熱い想い 

​桐生祇園祭保存会会長 蓮さん

4丁目蓮さん
蓮様写真.JPG

鉾が動いた!が…

桐生に帰って「町衆」として地域に貢献したいと思い、27、28歳の時に世話方(若衆会)に、青年会議所(JC)にも入りました。祇園祭では宴会係、衣裳係や総務などを担当し、本町4丁目が天王町(祇園祭の幹事町会)となる前年、46歳のころ行司(世話方代表)に就任しました。それから1年間、祭典の付け祭りとして何をやるか、友人、氏子総代や町会長と相談した結果、102年ぶりに鉾を動かすことになりました。4丁目の町会の方や世話方全員の協力を受け、鉾の巡行を実行できましたが、1回目の回転作業中、支柱が「ボキッ」と音を立て破断しました。この時はここで死んでもしょうがないな、本望だなと思いましたね(笑)。

桐生の商人として

私は、400年続いてきた金物鋳掛屋の三男として、昭和23年に本町4丁目で生まれました。「いらっしゃいませ。」「ありがとうございました。」という言葉が飛び交う環境の中、小学校から高校までずっと桐生で育ちました。大学で東京に出て卒業後、大阪の問屋に丁稚奉公し2年間、東北や中国地方をまわりました。それから生家の奈良屋銅鉄本店に戻り、桐生商人としての道を歩み始めたんです。

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令和元年度版 桐生祇園祭.jpg

「桐生祇園祭保存会」誕生!

旧市街地である本町1~6丁目までの各町会が張り合いながら、毎年交代で祭典の幹事を務める「天王番」制を約260年にわたり維持してきました。しかし産業構造の変化や長引く地方経済の低迷から、今まで通りの祭典の継続が危ぶまれる状況となりました。毎年幹事が変わる天王番制に依存しているだけでは、じり貧に陥るとの危機感から、対外折衝力強化・PR活動強化等のため、2016年4月に惣六町(本町1~6丁目)並びに横山町による「桐生祇園祭保存会」を立ち上げました。その後様々な対外折衝や改革を行う一方、各町に伝わる古からの情報を取りまとめのうえ、祇園祭の詳しい歴史、伝統に則った祭典執行手順や各町の祭りにまつわるエピソードなどを記載した『令和元年度版 桐生祇園祭』という冊子を発行しました。祇園祭に興味のある方も無い方も、ぜひ読んでください。

桐生の宝、桐生祇園祭

祭りは「地域コミュニティー活性化」の最高のツールであると考えています。多くの人を巻き込み、仕事を分担し、楽しみを感じあい、達成感を共有するのが、祭りの神髄です。因習も含めた伝統を大切にしながら、必要な改革にも取り組み、又多方面の協力を仰ぎつつ、100年後も桐生祇園祭を残していきたいですね。

4丁目神輿.jpg

祭りにおいて関わる「ヒト」は大事な要素である。

祇園祭はもちろん、ぜひ「ヒト」にも注目してほしい。

コロナをも消滅させるような桐生人の熱い想いに圧倒されることだろう。

【取材・文 13期飯泉 22/09】

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