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豪快な曳き違い!!三丁目鉾!! 

3丁目鉾
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豪華絢爛!! 全高7.5mの三丁目鉾!! 

翁鉾(おきなぼこ)は全高7.5mの鉾で、頭は頼朝、面は翁であることから翁鉾と呼ばれている。 江戸型山車(だし)の流れをくむシンプルな構造で二層の四方幕と三味線胴という。彫刻は桐生では珍しく金塗りで煌びやかであり、細かな龍の意匠が施された彫刻は古くから人々を魅了してきた。 

面を外したら源頼朝!?翁人形!! 

全高7.5mの最上部に位置する翁人形。翁面は長く人生を歩いてきた高齢の、また面を外した人形はこれから人生を切り開く若者の象徴であるといわれている。翁面を外した人形は、なんとあの有名な源頼朝像!?である。人形自体が藁と簡単な木という簡素な仕組みで、そこが四丁目の素戔嗚尊との違いだろう。また、囃子座(翁鉾のお囃子などを演奏する舞台)にはからくり人形の「からくり翁像」がある。現在はコロナ禍であり、なかなかお祭りで翁鉾を目にすることはできないが、ガラス越しから「からくり翁像」を見てみるのも良いかもしれない。 

鉾の曳き違いの起源は3丁目!?

翁鉾と4丁目鉾が両町の境ですれ違うのが「鉾の曳き違い」だ。全高7.5mの翁鉾と9.2mの4丁目鉾がすれ違う様は荘厳であり観衆たちを魅了する。そんな曳き違い、始まったのは平成12(2000)年からであり、生みの親はなんと3丁目である。3丁目が天王番の際、2台の鉾をすれ違わせたら面白いのではないか?という発想から生まれた。 

 桐生祇園祭のルーツは3丁目!? 

桐生は厄除神として牛頭天王(ごずてんのう・仏教の守護神)を祀り子供たちの手踊りで祈願した。商業都市として発達し、元禄2 (1689)年に市神社を造営した。そして3丁目の衆生院(現市営アパートの地) に神輿蔵を建立し、やがて市神社の神事と天王祭礼を一緒に行ってから一気に賑わうようになった。つまり桐生祇園祭のルーツは3丁目にあるのだ。 

桐生祇園祭パンフレットも参照させて頂きました 

【取材・文 13期片岡 22/05】

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