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3丁目大澤さん

桐生生まれ、桐生育ち。だけど、本町出身ではない大澤さんにとっての祇園祭とは

3丁目行司 大澤さん

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祇園祭との縁

桐生市内の出身ですが菱町の方なので、子どもの頃にお祭りとの関わりがあったわけではないんです。お祭りと関わったきっかけは、本町3丁目にあるみどり寿司で働きはじめたことです。22、3歳の頃、東京から戻ってみどり寿司で働き始め、そちらの長女と結婚することになりまして、参加して当然という感じで(笑)若衆としての活動が始まりました。現在はみどり寿司から独立して、天神町で「きつね」という飲食店を経営していますが、引き続き3丁目の若衆でして、ここ数年は行司という立場です。私が若衆になった20年位前は50人ほどの人がおり会計や行司などの役を割り振るのも簡単でしたが、現在は20名を切ってきていますので、全員が役職を担わざるを得ないのが現状です。また、3丁目育ちの人は少なくなって、私のように3丁目の外から来る人が多くなっている感じですね。

祭りの苦労、それに勝るビールと達成感

お祭りの期間に仕事を犠牲にしなければならないというのはやっぱり大変ですよね。それに、祭りの当日以外にも行司会や寄付関係の挨拶回りなどもあります。あと、天王番の時は本当に大変なんですよ。各町全体をまとめなければなりませんし、粗相の無いように十分注意もしなければなりません。なので、普段の祭りの時よりも緊張感は何倍もあります。とはいえ、普通の人ではなかなかできない貴重な体験ができる、という魅力はもちろんありますよ。私は3丁目の行司という立場を預かっていますが、神輿は行司の号令で力を合わせて動いていきます。その瞬間の何とも言えない感覚は忘れられません。それに最大の魅力というと、仲間同士での一体感が得られますし、それも含めた終わった後の達成感ではないでしょうか。神輿を担いだ後の乾杯のビールは普段のビールより何倍も美味しく感じられて、これも一度体験してしまうとやみつきですね(笑)。

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残す伝統/変わる祭り

7月初頭の挨拶回りや町会ごとの神輿の担ぎ方、揃いの浴衣を作る、各町が並んで神輿を運んでいくなど、桐生祇園祭には様々な決まり事があります。これらの伝統はこれからもそのまま残していきたいと思っています。最近になって変わってきている要素はいくつもありますが、一番は若衆の会員数だと思います。現在は、若衆の人数も少なくなって、人手が必要となる御輿の担ぎ手は外部からの応援もお願いしています。内部の人は神輿や周辺の安全管理、外部の人は神輿の担ぎ手、という感じで役割分担しながら祭りを運営している状況です。また、かつては町会同士での競争心も強かったので、時おり喧嘩になることもあったということです。しかし、現在では町会同士の接点も多くなって、仲がよくなっている感じがしますね。ですが、現在でも他町会に神輿担ぎの法被を着て行ってはいけないという不文律は残っていますし、他町会との神輿の引き継ぎの際など、現在でもピリピリする部分はありますよ。

祭りに参加して自分の殻を破ろう!

今後については、町会の外からも積極的に若衆になってもらえる人材を取り込んでいきたいと考えています。ただ、個人ではなかなか入りにくいという課題を抱えてもいますので、色々と見直しをしていく必要があるのではないかと感じています。とはいえ、お祭りに外部から関わって下さろうとする皆さんは、まずは神輿を担いで、普段はできない大きな声出しをするなど、自身の殻を破って欲しいですね。また、神輿の後の1杯のおいしさを感じて欲しいです。特に若者には、まずは祭りを楽しんでもらいたいというのが一番です。そこから徐々に結束感が生まれていき、祭りをより深く楽しむことができるようになっていくのではないかと思います。

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【取材・文 園田 24/7 】

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