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5丁目飯塚さん

5丁目祇園祭の今までとこれから

八木節やぐらと暴走族に関係が???

本町5丁目町会長 飯塚さん

飯塚様写真 小.jpg

お祭りとの深く長いかかわり

私は昭和28年の生まれで、桐生市本町5丁目のこの場所(イイヅカ洋品店の場所)で生まれ育ちました。大学入学で東京に出て7年ほどして桐生に戻ってきて、後は家業を継いで洋品店を営んでいます。先祖は元々3丁目で雑貨屋などを営んでいたらしいのですが、日露戦争の頃に本町5丁目に店を移したとのことです。曾祖父の代から私で4代目になります。たまたまと言ってはなんですが、この場所に長くいるものですから、先祖代々お祭りに関わらせていただいていますね。

昭和の祇園祭の記憶

私の子供時代というと子供神輿というものがありましたね。小学校3,4年生になると天満宮の方に向かってお御輿を担いで歩いた記憶があります。当時は何しろ高度経済成長期でしたから、子供も多かったんですよ。昭和47年から53年頃まで東京で過ごして、帰郷してきて1年間経った後で御神輿の会〔世話方〕に入りました。あの時代はもちろん上下関係も厳しくて、先輩への気遣いが大切な頃ですから、先輩から注いでもらったお酒は全て飲む、が原則。私も実際、家に帰ってきたら天井が回って見えるほど飲んだ日もありましたよ。それも今となってはいい思い出だし、楽しかったですけどね(笑)。

昭和の世話方 小.jpg
八木節櫓 小.jpg

お祭りの名物!5丁目八木節やぐら粋翔

忘れられないエピソードというと、5丁目交差点に設置する八木節櫓(やぐら)の粋翔(すいしょう)が、なぜあの位置になったのかについての話があります。2000年頃のことだったと思うのですが、暴走族が5丁目交差点付近を中心とした本町通りを占拠してしまい、警察もお手上げの状態でした。そこで、その当時祭りを仕切っていた方が櫓を5丁目の十字路に設置して、暴走族が入ってこられないようにすることを考えました。そのことがきっかけで、粋翔櫓の位置が現在の、皆さんにも馴染みのある5丁目の十字路になったのですよ。今では考えられない、やることが大胆で、気合の入った出来事であったなあという気持ちとともに、強く記憶に残っています。

これからの祇園祭への想い

祇園祭は現状として、物価高、人口減少などの社会問題の影響を大きく受けています。お祭りの運営では、担ぎ手の減少、資金不足など、苦労する点もたくさんありますが、本町内での全ての力を集結させて、伝統を守るためみんなで全力を尽くしていきたいと思います。もちろん、お祭りには若衆〔世話方〕の皆の力が不可欠ですから、毎回の若い方々のはたらきにも感謝していますよ。これまで本町に生きてきた一人一人がつないできた祇園祭という伝統を、ぜひ次の世代につないでいってもらいたいと思います。5丁目にはお御輿以外の付け祭として八木節もありますから、たくさんの方々にこのお祭りに足を運んでもらい、歌い踊り、飲んで楽しんでいってもらいたいですね。

5丁目神輿 小.jpg

【取材・文 森山 26/4 】

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