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5丁目小野さん

5丁目行司が語る祇園祭との関わりとその変化

第五街若者 行司 小野さん

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お祭り男の目覚め

私は桐生市本町5丁目に生まれ育ちました。幼い頃から、毎年夏になると家の前で祭りが行われるのが当たり前の環境で、生まれた時からお祭りが身近にある生活でした。大学入学をきっかけに一度は桐生を離れていましたが、27歳の時に戻ってきて家業(メガネ 小野眼)を継いでしばらくすると、スーツ姿のお兄様たちが突然お店にいらして、「世話方に入って下さるっていう事で来ました」って半ば強制的に世話方に入ることになりました(笑)。当時世話方だった私の父が、今度息子が入るから、って言っちゃってたんです。神輿を担ぎ始めたのは世話方に入った翌年からで、それまでは全くの未経験です。当時はまだ人手も結構足りていて、本町5丁目の人たちだけで祭りが成り立っていた時代でした。

お祭り男の「宿命」と祭りから得られるもの

お祭りに関わり続けている理由は、正直なところ「ここに生まれてしまった宿命」だと思っています(笑)。でも、その中で得られたものもあって、一番は仲間ですね。普段の生活では関わることのない、年代も立場も違う方々と一緒に祭りを執り行い、酒を飲み、ありがたい話を聞けるのは、祭りならではだと思います。一方で苦労もあります。行司という立場上、周りに指示を出さなければならない場面が多いのですが、性格的にそれがあまり得意ではなくて、自分でやってしまうことが多くって…。気を遣いすぎちゃう場面も結構多いんですよね(笑)。

小野さんと神輿担ぎ 小.jpg
町会と世話方 小.jpg

町会と世話方、そして変わる他町との関係

町会と世話方の関係は、基本的に町会で決まったことを世話方が実行する形です。他町では世話方がやりたいことを町会から反対され、対立することもあると聞きますが、本町5丁目はとても仲が良くて、感覚としては町会の皆さんは「近所のおじさんたち」、という感じです(笑)。また、世話方に入った頃は他町とはライバル関係が強くて、バチバチしているような空気もありました。昔は法被を着て他町に行くだけでトラブルの原因になることもあったくらいなんですよ。ですが、今は人手不足が深刻で、互いに支え合わなければ祇園祭自体の存続が危ぶまれる状況です。そのため現在は関係も良好で、お互い情報交換をしたり、協力し合ったりしています。他町の行司や世話方に、以前からの友人が多いというのもあるかもしれませんね。

祗園祭と八木節と

今は町外からであっても、お祭りに興味を持ってくれた人たちにどんどん参加してもらっています。既に世話方の半分以上は外部の人間で、神輿の担ぎ手も過半数が町外の方になっているのが実態です。高校の生徒さんに声をかけようと思ったら、すでに他の町会からお声がかかっていた、みたいなこともありました(笑)。2025年はなるべく知人で固めよう、ということで進めたら、なぜか屈強なプロのラグビー選手が来てくれたりもしました(笑)。本来は神輿を担ぐ祇園祭が中心でしたが、今はもともとは「付祭り」だった八木節の方が目立つようになって、「桐生八木節まつり」が正式名称にもなっています。もちろん八木節の存在は欠かせませんが、それでも、祇園祭の存在は忘れないでほしいと思っています。

神輿担ぎ 小.jpg
5丁目神輿担ぎ 小.jpg

人手不足とこれからの祇園祭

人手不足が進めば、今の各町での「肩送り」方式での神輿渡御の形を保てなくなる未来もあるかもしれません。だからこそ、町外の方でも、興味を持ってもらえたら、見るだけでなく参加してもらえるとうれしいです。世話方の参加条件は特にありませんが、男性のみとしています。時代に合わないと言われるかもしれませんが、神輿を担ぐのは男性でも本当にきつい。だからその大変さも含めての昔からのしきたりだと思っています。祭りの楽しみ方は人それぞれです。桐生のお祭りに参加したことがある方ならわかると思いますが、やっぱり楽しいじゃないですか、このお祭り。お酒を飲んで、踊ったりして、最高ですよね(笑)。そんな時に、法被を着た私たちを見て、「あ、祇園祭やってるな」と思ってもらえたら、それだけでもありがたいですね。​

【取材・文 岸川 26/7 】

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